培地学シリーズ26

2017.05.15

大川微生物培地研究所 所長 大川三郎

大川 三郎先生の略歴

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赤痢菌選択培地 ヘクトン・エンリック寒天培地(HE agar)

はじめに             

赤痢菌は細菌性赤痢の原因菌で、1988年、日本で志賀 潔により初めて分離され、Shigellaという学名はこの志賀 潔の志賀に因んで命名され、世界で最初に分離されたこの菌はShigella dysenteriae(志賀赤痢菌)と言う。赤痢菌は免疫血清型により分類されA-Dの4つの血清型がある。S.dysenteriaeは志賀毒素と呼ばれる非常に強い細胞変性毒素を産生する。この毒素は大腸菌O157等が産生するVero毒素と同様である。その他の赤痢菌としてはS.flexneriB群)、S.boydii(C群)、S.sonnei(D群)があり、これらの菌名はいずれも発見者の細菌学者名に由来する。<Flexner(米国)、Boyd(英国)、Sonne(ドイツ)>

赤痢菌の分離培地としては日本ではSS寒天培地、DHL寒天培地、マッコンキ―寒天培地などが用いられているが、米国ではヘクトン・エンテリック(HE)寒天培地が一般的に用いられている。何故、日本ではHE寒天培地が使用されてこなかったのか? それは、日本においては、昭和40年代まではサルモネラ・赤痢菌選択培地(SS寒天培地)は国家検定品で、国立予防衛生研究所(現、国立感染症研究所)の試験に合格しないと国内で販売できない制度が起因していた。(昭和60年代に規制緩和により検定制度が撤廃され、培地は医薬品から雑貨品の扱いになっている。)今回は日本ではほとんど使用されていないが、米国では一般的に使用されている赤痢菌の選択培地である(サルモネラの分離にも使用できる)ヘクトン・エンテリック寒天培地について紹介する。

 

ヘクトン・エンテリック寒天培地(Hektoen  Enteric  agar

 

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1. 原理

HE寒天培地は臨床材料・食品材料などに含まれる赤痢菌の分離・培養に用いられる。

本培地は1967年にヘクトン研究所のKingとMetzgerによって開発され、特に赤痢菌の分離に優れている。本培地の選択性は組成中の胆汁酸塩によるもので、胆汁酸塩はグラム陽性菌のみならず、一部のグラム陰性菌の発育を阻止する。コロニーの鑑別が可能にするために、乳糖、白糖、及びサリシンの3種類の炭水化物を含み、さらに乳糖・白糖の量が12.0gと少し多いことで病原細菌と非病原菌の鑑別が容易になっている。クエン酸鉄アンモニウムとチオ硫酸ナトリウムにより発育した菌の硫化水素産生が鑑別でき、指示薬として酸性フクシン、ブロムチモール・ブルー(BTB)は他の指示薬に比較すると赤痢菌に対する毒性が低い。上記3糖のうち、一つの糖でも分解する菌はサーモンピンク・黄色のコロニー、いずれの糖も分解できない菌は青色から緑青色のコロニーを形成する。従って、赤痢菌は本培地では良好に発育し、青色ないし、青緑色のコロニーを形成する。サルモネラはコロニー中心部が黒色(硫化水素+)の青色コロニー、大腸菌の発育は抑制され、黄色またはサーモンピンク色コロニーを形成する。(CitrobacterProteus spp,はサルモネラ菌に類似したコロニーを形成する。これらの発育を阻止する目的でノボビオシン15mg/L添加することもできる。)

 

 

2. 組成(精製水1Lあたり)

  

酵母エキス 12.0g
獣肉ペプトン  5.0g
乳糖  12.0g
白糖 12.0g
サリシン 2.0g
胆汁酸塩 9.0g
塩化ナトリウム 5.0g
チオ硫酸ナトリウム 5.0g
クエン酸鉄アンモニウム 1.5g
ブロムチモール・ブルー(BTB)  64mg
酸性フクシン 40mg
寒天    15.0g

pH7.6±0.2

 

 

3. 培地組成の役割

酵母エキス

酵母細胞の自己消化物水溶性抽出物である。一般的な細菌が発育するためには必須の栄養成分ではないが、基礎培地の発育補助栄養剤として使用される。エキス類は不足した栄養分を補うことで目的の細菌の発育を促進する。本培地では胆汁酸塩による発育抑制作用を緩和する。

獣肉ペプトン

細菌が発育するために必須の栄養素は①窒素源②炭素源である。細菌は蛋白分解酵素をもたないために、タンパク質をポリペプチドやペプチドまで分解しないと栄養素として利用できない。獣肉ペプトンは他のペプトンに比べてトリプトファンに乏しいが含硫アミノ酸が多い。またビタミンや発育因子が多いことが特徴である。

乳糖・白糖・サリシン

培地中に含まれる乳糖・白糖・サリシンは①エネルギー獲得のための炭素源として②炭水化物の分解による菌種の鑑別の目的である。本培地では乳糖・白糖・サリシン分解菌と非分解菌を鑑別することが目的である。1)乳糖はグルコースとガラクトース、白糖はグルコースとフルクトースが結合したニ糖類で、サリシンはD-グルコースを含むアルコール性のβ―グルコシドである。赤痢菌はいずれの糖も分解できないために、他菌でいずれかの糖を分解する菌と鑑別ができる。

胆汁酸塩

デソキシコレートとタウルコール酸を6:4で混合した成分で、添加目的はグラム陽性菌、酵母様真菌の発育阻止剤として用いられる。さらに胆汁酸塩が9.0g/Lと高濃度のために大腸菌をはじめとする腸内細菌の発育を抑制する。

塩化ナトリウム

菌体内外の浸透圧の維持するために用いられる。細菌の分裂においては細胞質の増大と細胞壁の合成が重要であるが培養の初期段階ではそのバランスが崩れて細胞壁合成が不完全な状態で細胞分裂がおこることがある。この時にできたプロトプラストは低張液では簡単に溶菌してしまうが、塩化ナトリウムを添加することで溶菌を防ぐことができる

チオ硫酸ナトリウム・クエン酸鉄アンモニウム

チオ硫酸ナトリウムはイオウ源として利用できる細菌によって分解される。利用できる細菌(硫化水素産生菌)と利用できない細菌(硫化水素非産生菌)と鑑別できる。チオ硫酸ナトリウムが細菌により分解されると培地中で硫化水素が産生されクエン酸鉄アンモニウムの鉄と反応して黒色の硫化鉄が生成される。<Na2S2O3→ H2S+Fe2→ FeS>

ブロムチモール・ブルー(BTB

pH指示薬であり、培地のpH6.0以下では黄色、pH7.6以上では青色に変色する。即ち乳糖、白糖などの炭水化物が分解されると培地pHは約4.0以下になるために黄色に変色する。逆に炭水化物が分解されない場合はペプトン分解によるアルカリ化のみのために青色に変色する。

酸性フクシン

フクシンは紅紫色染料である。固体では暗緑色結晶で、水に溶けて紅紫色になる。織物を染める他、細菌の染色や消毒にもちいられる。酸性フクシンは塩基性フクシンをスルフォン化したものである。乳糖の分解により産生された乳酸、さらにアルデヒドがフクシン亜硫酸と結合して赤紫色物質を作る。乳糖分解菌はサーモンピンク色のコロニーを形成する。

寒天

培地の固形化剤である。原料は海藻である天草・オゴノリである。培地用としては主としてオゴノリが利用されている。主成分はアガロースで糖が直鎖状につながっており、細菌によって分解されにくい構造となっている。寒天の内部に水分子を内包しやすく、多量の水を吸収してスポンジ状の構造を形成する。水分を蓄えることができ、栄養分をそのなかに保持できる。

 

4. <定量培養> #定性法で陽性の場合は実施する

①食品の10%乳剤を10 倍段階希釈する。

②各希釈段階の 0.1 ml をHE寒天培地上に滴下し、コンラージ棒で広げる。

③37℃で24時間培養する。

⑨青色または緑青色集落の数をカウントし、1g 当たりの菌数を算出する。

<*同定が必要です。>

 

5. 培地の限界

① 一部の(乳糖・白糖遅分解菌)Shigella sonneiが青色コロニーでなく、薄いピンクコロニーを形成することがある。

② Salmonella arizonaがピンクから黄色コロニーを形成する。

③ サルモネラ以外の細菌が中心部黒色の青コロニーを形成することがある。

 プロテウス・シトロバクターエンテロバクター等の細菌は本培地では発育が多少抑制されるが、サルモネラ同様のコロニーを形成することがある。

赤痢菌以外の細菌で青色コロニーを形成する。

緑膿菌が本培地に発育すると赤痢菌のコロニーに類似した緑色から青色コロニーを形成する。

培地の保存中または培養中に培地成分の胆汁酸などの結晶が出現することがある。

培地成分としてクエン酸ナトリウムが含有されていないために結晶が出現しやすい。

 

文献

    1. King and Metzger, 1968. Appl.Microbiology, 16:577
    2. Hoben D.A et.al, 1973, Appl. Nicrobiology, 26(1):126-127
    3. Isenberg H. D., 1969, Appl.Nicrobiology 18(4):656-659

3. American Public Health Association (1976) Compendium of Methods for the Microbiological Examination of Foods. APHA Inc. Washington D.C.
4. Downes and Ito (Ed.) Standard Methods for the Examination of Water and Wastewater,20th Ed APHA Washington D.C.
5. The United States Pharmacopaeia USP 28 2005.

6.阪崎利一:新細菌培地学講座 近代出版 1988