第101話 テロリズムと食中毒菌
2022.08.01
2022/8/1 update
図1は、米国の同時多発テロ事件(2001年9月11日)発生時の様子です。22年が過ぎ去ろうとしていた本年、2022年7月8日に安倍晋三元総理大臣が手製の銃で撃たれ、逝去されました。今回の襲撃事件も、広く解釈すればテロリズムterrorismと思われます。テロとも略されますが、テロリズムには厳密な定義はないようです。一般的には、「政治目的、宗教的又はイデオロギー的な変化を起こさせようとして、暴力又はその脅威を行使する非合法活動」とされています。
図2は、同時多発テロ事件後に開催された日米両国の対策会議で示された、米国のフードテロ対策の概念図です。農場から食卓までの対策が必要であることが強調されています。
食中毒菌もテロの凶器として使われたことがあります。第100話の年表の1984年に記入されている事件が有名です(図3)。レストランのサラダバーにサルモネラ属菌が散布され、多くの人々が食中毒症状が発症した事例があります。わが国では同年に、青酸カリを製品に混入したとするグリコ・森永事件が発生しています。また、同年には故意ではありませんでしたが、真空包装辛子蓮根によるボツリヌスA型菌食中毒も発生し、死者11名にも及ぶ大惨事が起こっています。
今回は、1984年のサラダバーへの食中毒菌(Salmonella Typhimurium、ネズミチフス菌)投入事件を中心に、悪意を持って食中毒菌を使用した事例を紹介させていただきます。
1) 食中毒菌が使われたバイオテロ
当初は食中毒と考えられていた米国の事例です。 1981年にカルト教団ラジニーシ(Rajneesh)は、オレゴン州ワスコ郡に布教拠点を作りました。教団は活動を活発に行い、次第に地域の住民と対立を深めて行きました。やがて、教団は州の選挙制度を利用して多くの教団員の有権者登録を行い、選挙を通じて地域を支配しようとしました。住民は反対し、抵抗しました。
1984年9月から10月にかけて、図4のように、次々と住民が、嘔吐、下痢、発熱の症状を呈しました。最終的には751人もの発症者が出ました。発症者は、町内のレストランで食事をし、サラダバーを利用していました。
検査により病因物質はサルモネラ属菌によるものと判明しました。事件の全容解明には1年にわたる警察による調査期間を要しました。取り調べで明らかになったのは、教団が病因菌を微生物バンクから研究用として購入し、自らの研究所で培養し、サラダバーに散布した犯行経過でした。
この事件では、多くの患者が発生しましたが、オレゴン州の一地方の事件として扱われていました。現実には、単なる食中毒ではなく、米国で起きた最初の食品テロでした。食品供給ルートのテロに対する脆弱性を浮き彫りにし、事実関係の判明後は、消費者のみならず食品取り扱い関係者を震え上げらせるものでした。
テロの手段としての病原菌が、微生物バンクから簡単に購入され、培養されたことが明らかになりました。テロを起こすためにかかったコストも、自ら培養し、増菌させたため安く済むことが明らかになりました。病原菌の散布も信者が行ったために、そのコストも低く済んでいました。模倣犯が出ないように倫理面の対策も必要であることが認識されました。
図4ならびに表1のように、発症者数には9月15日と10月24日の2つのピークが見られ、少なくとも病原菌のサラダバーへの散布は2回行われています。表1に示すAからJまでの10軒のレストラン全てからサルモネラ症の確定診断患者が出ていることから、大量に原因菌が散布されたと思われます。
このような、バイオテロの防止には、図2のように農場から食卓までのフードチェーン全体での適切な管理が必要です。フードディフェンスと言う掛け声で、柵を高くするなどの対策が要求されましたが、国民全員の他人に迷惑をかけないなどの人的・内面的な充実も必要とされるようになりました。今日では、第52話のようにFood Safety Culture食品安全文化の醸成と維持も必要とされています。
2) わが国の事例
わが国では、表2のように悪意を持って毒物を食品に投入した事例が知られています。その一方で、食中毒菌等やウイルスなどを故意に食品に投入し、発症させた事例は報告されていないようです。
故意に病原体を食品ではなく、人や環境に散布などにより投入した事例はあります。1993 年のオウム真理教による亀戸炭疽菌事件及び 1995 年の地下鉄霞ヶ関駅構内ボツリヌス毒素散布未遂事件などです。亀戸炭疽菌事件については、異臭問題とされていましたが、2001 年に行われた細菌学的調査により炭疽菌が噴霧されていたことが明らかになりました。人的被害は認められませんでした。
噴霧した炭疽菌の菌量が少なすぎたのであろうと推測されています。自動車に噴霧器を載せ、国会議事堂や東京タワーなどでも炭疽菌の噴霧を行っていますが、発症例は報告されていません。ボツリヌス菌を培養してその培養液を散布した事件も起こしていますが、人的被害はありませんでした。毒素を産生させる培養に成功していなかったと推測されています。
オウム真理教は、1994年に松本でサリンを散布して、150人を超す住民に中毒を起こさせ7人を殺害しています。1995年には、東京の地下鉄で広範にサリンを散布し、5,000人を超す国民に中毒を起こさせ、12人を殺害しています。悪質極まる犯罪を起こしています。
図5は、1936年に発生した大福餅による大型食中毒事件の報道です。発症者2,201名、死者44名という大惨事でした。病因物質がゲルトネル菌と呼ばれていたSalmonella Entiritidisであることが判明するまでは、図5のように毒素ではないかと疑われていました。
旧制中学の運動会でのお土産の紅白餅として配布されたものです。製造したお店では旧制中学に納めた残りを一般に販売していましたので、学校関係者以外にも被害者が出ています。この被害者の中に陸軍の軍人がいたことから、陸軍がゲルトネル菌の検出に協力したようです。
テロは許すことのできない犯罪です。過去の事例を教訓にして、発生防止に努めましょう。
参考文献
1)三瀬勝利:食品のバイオテロ、Milk Science, 55(4),217-226(2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/milk/55/4/55_217/_pdf/-char/ja
2)T.J. Toeroek, et al. : A Large Community Outbreak of Salmonellosis Caused by Intentional Contamination of Restaurant Salad Bars, J. American Medical Association,278,389-395(1997)
3)農林水産省:食品防御について(意図的混入から食品を守る)、2020年11月18日
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/fcp/whats_fcp/attach/pdf/study_2021-68.pdf